8月1日

S江は確か今年で84才

今から14年前の2012年に私の父親が亡くなり、それからずっと佐世保で一人暮らしをしている

父は商社マンで転勤が多く、海外も含めて色んな土地に赴いており、単身赴任の場合もあったがS江も多くの赴任先についていっていた

私も両親と弟と共に、中学生の3年間を当時の西ドイツのハンブルグで過ごした

渡欧前は大阪府吹田市に住んでおり、兄は地元の進学校に進めるくらい成績が優秀であったが、渡欧が高校に上がるタイミングだったので進学校は断念し、一人日本に残って寮設備のある高校に入学

私は中学に上がるタイミングで、ドイツ語はもちろん英語も喋れない状況で海外の中学に行くことになる運命を多いに悲観したが、幸いその年から日本人学校が開校するという超ラッキーな展開に救われた

ただ、もしその時苦労して現地の学校に通っていたら、その後の人生はもう少し変わったものになっていたかもしれないと後々思うことになる

なにせハンブルグでできた日本人の友達のほとんどは去年まで現地の小学校やインターナショナルスクールに通っていて、ドイツ語もしくは英語がペラペラ

また、仕事がある父はもちろんのこと、母親も向学心が強くてドイツ語を積極的に学んでいたので、街に遊びに行ったり旅行に行っても現地の人とのコミュニケーションはすべて私以外の人が担ってくれる

おかげで、「現地語や英語がほぼ喋れない帰国子女」が3年後に誕生するのである

まぁでも日本人学校ができると聞いた時は本当にうれしかったので、あえて現地の学校に通うという選択肢は100%なかったけど。。

 

その後私は中学3年間のハンブルグでの生活を終えて帰国

当時、帰国子女枠があり寮設備のある高校は日本で2校ほどしかなく、兄の通うそのうちの1校を専願で受験

一般入試の兄と違って倍率はそんなに高くなかったものの、今にして思えばよくそんな賭けみたいなことをしたなぁと思う

もし受験に失敗したら、どこかの親戚に預かってもらう算段が出来ていたのだろうか?

後にS江に確認したところ「そんなんなかった」とのこと。。

まぁ無事受かったので、リスクヘッジが全くできていなかったことを恐ろしく感じるのは、この約40年度のことになる

 

約6年に渡るハンブルグでの生活を終え帰国した両親と弟

ちょうど高校3年生の秋頃だったので、私も寮を出て兄共々奈良県奈良市の借家住まいに合流

兄はこの時大学生

弟は私の通う高校に合格し、寮生ではなく帰宅生として通うことになる

ちなみに我々3兄弟は年が3つ離れているので、同じ時期に高校に通ったことはない

 

この後少しして、同じ奈良市内に戸建て住宅を購入し全員で移り住んだが、両親はその数年度にユーゴスラビアのベオグラードに赴任

我々3兄弟は日本に残り、それぞれで親のいない共同生活(と言ってもお互いに干ほぼ干渉せず)を堪能した

私も1~2回ほどベオグラードに遊びに行ったが、その後ユーゴスラビアの内紛が激化

恐らく1991年頃だったと思うが、赴任から数年後に両親は帰国した

 

父は数年後に某食品メーカーに転職したので、このまま奈良に根を下ろすんだろうと思っていたが、突然父の実家である長崎県佐世保市への移住を決意

恐らく2002年頃だと思うが、老い先短い母親(私の祖母)の近くで余生を過ごすために奈良の家を処分し佐世保での仮住まいを開始

元々父の実家は土地持ちの資産家で、祖母が長女(私にとっては叔母)夫婦と同居しており、周りにも2人の叔母(のちに3人に増える)が住む一角に一軒家を建てS江と共に移り住んだ

 

残念ながら、祖母はそれから1年も経たないうちに他界

それでも兄弟やその家族に囲まれながら、夫婦二人で悠々自適な老後を過ごしていた両親だが、その10年後に父が72才の若さで他界

母にとっては血縁者のいない土地になってしまったが、兄弟との仲も良く、趣味を通じて地元の友達もいる環境でそのまま一人暮らしを続け、今日に至るのである

数年前に、兄夫婦のもとに身を寄せるという話しが出たが現時点では実現せず

周囲の叔母たちも高齢化しているので子供としては兄のもとに行く方が安心ではあるが、S江にしてもかれこれ約25年も過ごした土地への愛着や知らない土地にで暮らすことの不安もあると思うので、あまり強くは言わないようにしている

 

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